ハリウッドマジック 究極の特許カツラ

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究極のカツラ開発秘話究極のカツラ開発秘話

第1回 カツラの人生の始まり


私は、三重県多気郡多気町の出身で、長男として生を受けました。
正直、裕福とはいえない家庭でした。

そういうこともあって、大人になったら「独立して自分で店を構えたい」と
おぼろながらも夢をもっていました。

それで、中学を出るとすぐに大阪へ散髪屋の見習いとして入りました。
住み込みのいわゆる丁稚奉公です。
給金は、早朝から夜遅くまで働きづめで月千円でした。

昭和40年代当時の理美容業界は、いわゆる徒弟制度の世界で、
上下関係に厳しく、保険などの福利厚生はもちろん、皆無の状態です。

それでも、当時15歳の私は、独立を夢見ながら必死で働きました。
まずは、早く技術を習得して一人前の職人になること。
それが先決だと思い、仕事が終わった後の夜中に、
独り残りハサミの使い方を練習したものです。

それから数年、業界事情だけではなく、
世間の諸々の情報も耳に入るようになってきました。
当時、一人前の職人さんの給料が3~4万円だということ。
建設業界の日雇い人夫の方で、日当5~6千円程度あること。
昭和45年前後の一般サラリーマンで、10万円前後だった時代です。

それに引きかえ私の給料は、数年立っても1万円にも満たない額です。
このままでは、とてもじゃないが独立開業なんて永遠に無理。

まず、店舗を借りるのに敷金が必要。
改装費用や理髪用の椅子や洗面台などの道具一式が必要です。
どう節約しても、独立するには数百万円は必要でした。
当時は、不動産などの担保を持たない個人が銀行から資金を借り入れることは、
まず不可能です。

つまり、何をおいても先立つものはお金。
お金がないと独立は100%不可能。そう悟った私は、
より給料の高い職業を求めて、
まずは少しでも早くお金を貯めることにしました。

それからの数年間、私は職を転々としました。
建設現場の日雇い労働から夜のサービス業のボーイまで、
ほんとに、いろいろな人生を学びながらお金を必死で貯めました。

そして、ある程度貯まったところで、
もう一度、理美容業界に戻ったのです。
それが25歳のとき。

そこで心新たに入店した先が、カツラの専門店でした。
カツラを専門に扱っている店自体が、当時としては珍しく、
そこに興味を抱くと同時に、何となく将来性も感じました。

これが私のカツラ人生の始まりです。
そして、カツラの魅力にどんどんハマっていきました。

ところが、入店して2年後、たいへん残念な事態に直面しました。
なんと専門店が倒産してしまったのです。

でも、そのとき専門店でお世話になった先輩が、
新たにお店を立ち上げることに。
仲間として誘われた私は、そこでお世話になることになりました。

先輩の立ち上げた新店では、
その立ち上げからお手伝いできる機会を得て、
ほんとうに勉強になりました。

まさに人生、人間万事塞翁が馬の如し
災いあれば、幸いありです。

その一年後に私は、ついに独立を決心。
昭和53年6月1日、28歳のときです。

よーし、やったるで~!という感じで、
情熱が体中の全身にみなぎっていたことを今でも、
つい昨日のように覚えています。